「アラカン!」な日々
「アラカン!」公演情報を随時アップ(管理人・唐沢@作者)
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- 2011/11/28 (Mon)
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チケットの精算も済み、なんとか一息つけそうな雰囲気になってきたので、これから少しずつ『アラカン!』誕生までのあれこれについて書いていこうと思います。
まず、今回の話を書こうと思った最初のきっかけについて。
これは今から5年前、2006年のことです。
この年、蜷川幸雄さんのプロジェクトとして「さいたまゴールド・シアター」という55歳以上の人を対象とした劇団が発足しました。
2006年というのは、いわゆる団塊の世代が一斉に定年を迎える2007年の前年にあたり、これまでのシニアのイメージを一新するだろうと言われた団塊世代のマーケットを狙ってさまざまなシニア向けビジネスが動き出した年でした。
「さいたまゴールド・シアター」もそんなビジネスのうちの一つだったと思うのですが、新聞でこのニュースを読んだ瞬間、私の中ですごくざわめくものがあったのです。
まだ告知の段階だったけど、「これは当たる!」「すごいところに目をつけたな」という確信を持ちました。
その予想通り、「さいたまゴールド・シアター」には20人の募集枠に1200人が応募するという、ほとんど事件といってもいいほどの反響を呼びました。
今やシニア劇団は「さいたまゴールド・シアター」に限らずあちこちで誕生し、すっかり市民権を得ていますが、この劇団がさきがけとなったことは間違いないでしょう。
多分、このときから私の心の中で「シニア劇団を舞台にした話を書いてみたい」という気持ちが芽生えていたのだと思います。
が、もちろん、漠然とひっかかっただけで、上演してもらうあてがあるわけでもないし、時々心の隅からとりだしてはいろいろな角度から眺めまわしていたにすぎませんでした。
ただ、最初からはっきりしていたのは、シニア劇団を通して描きたいのは「いきいきと輝くシニア」ではないということです。
私が興味をひかれたのは、「いきいきシニア」に乗り込まれたプロのリアクションのほうでした。
そっちのほうが想像していてワクワクするし、話も広がっていくように思えたのです。
ためしに何度か、まわりの友人知人(非演劇業界の)に「こういうシチュエーションでアマチュアがプロの職場に乗り込んでくるのってどう思う?」と聞いてみたのですが、専門職と言われる職種の人たちは、一様に「生理的にものすごい抵抗を感じる。想像するだけで無理!」と反応してきました。
その反応を見て、ますます「これはおもしろい話になるかも」という確信が育っていきました。
最初に頭に浮かんだのは、シニアの指導を任された演出家がシニアたちと同じ年代だったらどうだろうということ。
シニアたちの中に近所の知人とか入ってたらいやだろうな。
そのご近所さんは生活に余裕のあるサラリーマンで、「俳優さん」というお仕事に興味津々で、公演案内とか渡すと憧れの目で見られちゃったりするんですよ。
そういう関係のときはいいご近所さんなんだけど、定年を迎えたその人が自分の劇団のシニア部に入ってきちゃったらどうだろう。
関係ない人生を送っていてくれればなにも感じなかっただろうに、自分の人生にかかわってこられたらそれはきついだろうな。
うわー、きつい。考えるだにきついよ、それは。
…と、心の中でその演出家をいかにして追いつめるかというシチュエーションをあれこれ考えては楽しんでいました。
それから3年たった頃、思いがけずその空想が実現するチャンスが舞い込んできました。
テアトル・エコーの2011年本公演のレパートリー会議に書き下ろし企画を提出してみないかという提案を受けたのです。
ところがちょうどこのとき、私は乳がんの告知を受けていて、正直なところ2年後のことなど考える余裕がなかったのですが、なんのクレジットもない私に「本公演で書き下ろしを!」と願って動いてくれる劇団員がいることがとてもありがたく、とにかく3年間ひっかかっていた「シニア演劇ネタ」を出してみることにしました。
タイトルは『アラカン!』。
ずっと温めてきたのは『R55』というタイトルだったのですが、たまたまこの年「アラフォー」という言葉が流行語となり、そこから派生した「アラカン(アラウンド還暦)」という言葉もはやり始めていたのでこれを使ってみました。
流行語は2年後だと微妙かなーとも思ったのですが、まあとりあえずの仮タイトルだしいいか…ってことでこれで提出しました(結果的にはそのまま正式タイトルになったわけですが)。
最初に出した企画書は以下のようなものでした。
レパートリー会議といっても、他の候補はすでにできあがっている作品ばかりです。
新作で、なおかつこれしか材料がないのですから、年2本しか枠がないレパートリーにランクインするのはかなり難しいだろうと思っていました。
しかもうち1本は再演ものがほぼ当確していた状態だったので、枠は事実上1つという状態。
ところが……「アラカン」という響きが妙にフィットしたのか、プレゼンターの説得力か、演出をひきうけてくれた永井さんのクレジットか……投票の結果、思いがけずこの企画が通ってしまったのです。
2009年9月30日。
『アラカン!』が誕生にむけて動き出した記念すべき日。
嬉しいはずの日でしたが、その2日前、母が乳がん転移の告知を受けるという真っ暗な出来事がありました。
自分の病気もあり、立っているのがやっとという状況でしたが、「企画が通りました」という電話を受けて、「母に絶対この作品を見せたい」という希望を支えに、それからの長い道のりを歩む決意を固めたのでした。
まず、今回の話を書こうと思った最初のきっかけについて。
これは今から5年前、2006年のことです。
この年、蜷川幸雄さんのプロジェクトとして「さいたまゴールド・シアター」という55歳以上の人を対象とした劇団が発足しました。
2006年というのは、いわゆる団塊の世代が一斉に定年を迎える2007年の前年にあたり、これまでのシニアのイメージを一新するだろうと言われた団塊世代のマーケットを狙ってさまざまなシニア向けビジネスが動き出した年でした。
「さいたまゴールド・シアター」もそんなビジネスのうちの一つだったと思うのですが、新聞でこのニュースを読んだ瞬間、私の中ですごくざわめくものがあったのです。
まだ告知の段階だったけど、「これは当たる!」「すごいところに目をつけたな」という確信を持ちました。
その予想通り、「さいたまゴールド・シアター」には20人の募集枠に1200人が応募するという、ほとんど事件といってもいいほどの反響を呼びました。
今やシニア劇団は「さいたまゴールド・シアター」に限らずあちこちで誕生し、すっかり市民権を得ていますが、この劇団がさきがけとなったことは間違いないでしょう。
多分、このときから私の心の中で「シニア劇団を舞台にした話を書いてみたい」という気持ちが芽生えていたのだと思います。
が、もちろん、漠然とひっかかっただけで、上演してもらうあてがあるわけでもないし、時々心の隅からとりだしてはいろいろな角度から眺めまわしていたにすぎませんでした。
ただ、最初からはっきりしていたのは、シニア劇団を通して描きたいのは「いきいきと輝くシニア」ではないということです。
私が興味をひかれたのは、「いきいきシニア」に乗り込まれたプロのリアクションのほうでした。
そっちのほうが想像していてワクワクするし、話も広がっていくように思えたのです。
ためしに何度か、まわりの友人知人(非演劇業界の)に「こういうシチュエーションでアマチュアがプロの職場に乗り込んでくるのってどう思う?」と聞いてみたのですが、専門職と言われる職種の人たちは、一様に「生理的にものすごい抵抗を感じる。想像するだけで無理!」と反応してきました。
その反応を見て、ますます「これはおもしろい話になるかも」という確信が育っていきました。
最初に頭に浮かんだのは、シニアの指導を任された演出家がシニアたちと同じ年代だったらどうだろうということ。
シニアたちの中に近所の知人とか入ってたらいやだろうな。
そのご近所さんは生活に余裕のあるサラリーマンで、「俳優さん」というお仕事に興味津々で、公演案内とか渡すと憧れの目で見られちゃったりするんですよ。
そういう関係のときはいいご近所さんなんだけど、定年を迎えたその人が自分の劇団のシニア部に入ってきちゃったらどうだろう。
関係ない人生を送っていてくれればなにも感じなかっただろうに、自分の人生にかかわってこられたらそれはきついだろうな。
うわー、きつい。考えるだにきついよ、それは。
…と、心の中でその演出家をいかにして追いつめるかというシチュエーションをあれこれ考えては楽しんでいました。
それから3年たった頃、思いがけずその空想が実現するチャンスが舞い込んできました。
テアトル・エコーの2011年本公演のレパートリー会議に書き下ろし企画を提出してみないかという提案を受けたのです。
ところがちょうどこのとき、私は乳がんの告知を受けていて、正直なところ2年後のことなど考える余裕がなかったのですが、なんのクレジットもない私に「本公演で書き下ろしを!」と願って動いてくれる劇団員がいることがとてもありがたく、とにかく3年間ひっかかっていた「シニア演劇ネタ」を出してみることにしました。
タイトルは『アラカン!』。
ずっと温めてきたのは『R55』というタイトルだったのですが、たまたまこの年「アラフォー」という言葉が流行語となり、そこから派生した「アラカン(アラウンド還暦)」という言葉もはやり始めていたのでこれを使ってみました。
流行語は2年後だと微妙かなーとも思ったのですが、まあとりあえずの仮タイトルだしいいか…ってことでこれで提出しました(結果的にはそのまま正式タイトルになったわけですが)。
最初に出した企画書は以下のようなものでした。
花も嵐も踏み越えて、雄々しく高度成長期を駆け上ってきた団塊世代もいよいよ定年を迎える時代になった。
赤いちゃんちゃんこなんてまっぴらごめん。
まだまだ一花も二花も咲かせたい。
というわけで、貪欲な「アラカン(アラウンド還暦)」の男女たちが、諦めていた若き日の夢を叶えようと、とある劇団の「シニア部」に集まってきた。
彼らの指導をおおせつかった演出家は、これまた「アラカン」の元役者。
夢の一本道に進んだ彼は、結局思い描いていたような人生を手に入れることができなかった。
夢を選べなかった同世代の仲間が、今になって自分の領域に入り込んでくることに複雑な思いを抱く演出家…。
一方、演出助手についたのは、今年研修所を出たばかりの新米役者。
わがままな役者にやる気のない演出家…と、一癖も二癖もあるアラカンたちを相手に悪戦苦闘。
はたしてこの問題多きカンパニーは無事にひとつの舞台を作り上げることができるのだろうか?
60は惑いの年。
60は再生の年。
今まで歩んで来た道を振り返り、もうひとつの人生に思いを馳せる年。
「アラカン」たちの第二の青春の幕が今開く!
レパートリー会議といっても、他の候補はすでにできあがっている作品ばかりです。
新作で、なおかつこれしか材料がないのですから、年2本しか枠がないレパートリーにランクインするのはかなり難しいだろうと思っていました。
しかもうち1本は再演ものがほぼ当確していた状態だったので、枠は事実上1つという状態。
ところが……「アラカン」という響きが妙にフィットしたのか、プレゼンターの説得力か、演出をひきうけてくれた永井さんのクレジットか……投票の結果、思いがけずこの企画が通ってしまったのです。
2009年9月30日。
『アラカン!』が誕生にむけて動き出した記念すべき日。
嬉しいはずの日でしたが、その2日前、母が乳がん転移の告知を受けるという真っ暗な出来事がありました。
自分の病気もあり、立っているのがやっとという状況でしたが、「企画が通りました」という電話を受けて、「母に絶対この作品を見せたい」という希望を支えに、それからの長い道のりを歩む決意を固めたのでした。
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カウンタ
公演概要
テアトル・エコー公演vol.142「アラカン!」
作 ●唐沢伊万里
演 出●永井 寛孝
公演日●2011年11月
11日(金)19;00
12日(土)14;00
13日(日)14;00
14日(月)19;00
15日(火)19;00
16日(水)14;00
17日(木)14;00
18日(金)14;00
19日(土)14;00
20日(日)14;00
21日(月)19;00
22日(火)19;00
23日(水)14;00
計13回公演
料 金●一般5,000円(全席指定)
会 場●エコー劇場(恵比寿)
前 売●10月8日開始
問合せ●テアトル・エコー
作 ●唐沢伊万里
演 出●永井 寛孝
公演日●2011年11月
11日(金)19;00
12日(土)14;00
13日(日)14;00
14日(月)19;00
15日(火)19;00
16日(水)14;00
17日(木)14;00
18日(金)14;00
19日(土)14;00
20日(日)14;00
21日(月)19;00
22日(火)19;00
23日(水)14;00
計13回公演
料 金●一般5,000円(全席指定)
会 場●エコー劇場(恵比寿)
前 売●10月8日開始
問合せ●テアトル・エコー
※割引料金、出演者情報などの詳細はエコーHPにてご確認ください。
※16日は終演後シアタートークあり。
プロフィール
HN:
唐沢伊万里
性別:
女性
職業:
劇作家
趣味:
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